ルピシア (旧レピシエ)の会社の移り変わり
ルピシア (旧社名レピシエ)は、サイトでは『会社案内の会社概要』にこう書いてあります。
なお、この記事は、レピシエ (現ルピシア)~とある紅茶専門店の創業伝説と偉人創業者① より続いてます。
平成6年8月:株式会社レピシエ設立 /千駄ヶ谷店オープン/同時期より通信販売、FC展開を開始
平成8年7月:本店を東京都渋谷区千駄ヶ谷1-28-1へ移転
平成9年7月:事務所を東京都渋谷区千駄ヶ谷4-16-13へ移転
平成12年9月:通信販売部の事業拡大に伴い、関係会社レピシエオンライン設立
平成12年12月:東洋のお茶を中心とした新ブランド設立に伴い、関係会社緑碧茶園設立
平成13年9月:LEPICIER TAIPEI CO., LTD.(台湾現地法人)設立
平成13年10月:本社事務所を東京都渋谷区代官山町8-13に移転
平成13年12月:LEPICIER TAIPEI CO., LTD. 台湾1号店、天母店オープン
平成14年4月:オーストラリア1号店、メルボルン サウスヤラ店オープン
平成14年10月:LEPICIER TAIPEI CO., LTD. 信義ショップ店オープン
平成14年11月:アメリカ1号店、レピシエ・緑碧茶園複合店舗 ハワイ アラモアナ店オープン
平成15年11月:千駄ヶ谷本店にティースクール開校
平成16年8月:新工場を栃木県河内郡上三川町石田1800-7に開設
平成17年9月:紅茶専門店「レピシエ」と東洋のお茶専門店「緑碧茶園」の二つのブランドを統合、世界のお茶専門店「ルピシア」としてリニューアルオープン
平成18年8月:アメリカ西海岸1号店、サンフランシスコ ストーンズタウン店オープン
平成18年9月:韓国1号店、ソウル・ロデオ店オープン
平成18年10月:株式会社ルピシアに社名変更
平成19年8月:東京都目黒区自由が丘に新本店オープン
平成20年4月:新ブランド「ルピシア・ボンマルシェ」スタート
平成22年7月:株式会社ルピシアトレーディング設立
平成23年4月:新ブランド「ルピシア グルマン」スタート
平成24年7月:食のリゾート「ヴィラ ルピシア」を北海道・ニセコ町に開店
平成24年11月:滋賀水口工場を滋賀県甲賀市水口町ひのきが丘36-7に竣工
平成24年12月:株式会社ルピシアオンラインを合併
平成25年9月:フランス店、パリに開店
平成25年12月:新ブランド「ルピシア ベルエポック」スタート
平成28年7月:食のリゾート「ヴィラ ルピシア」にスイーツショップを新設
平成29年4月:ニセコ工場を北海道虻田郡ニセコ町字元町436-2に竣工
設立は1994年です。
そして、創業わずか16年の2010年には店舗数100店舗を超え、26年を迎える2020年6月時点店舗数154店となり、ますます拡大を続けております。
なお、年表はルピシア側で更新前の表示のものも含めております。
マリアージュフレールと ルピシア (旧レピシエ)の不思議な関わり
今までは何の不思議も感じていなかったのですが、ふとしたことから、ルピシアそのものが気になりました。
その時にネットで調べている所、この記事を発見しました。
マリアージュフレールジャポンの設立は1988年だそうです。
この記事からは、1990年代前半、日本においてマリアージュフレールという名前のフランスの紅茶専門店が展開していく様子が書かれています。
ですが、状況が一変します。
1995年3月に毎月発行されていたマリアージュフレールの本が休刊を迎えたそうです。
サイトの作者の方は、1995年か1994年の暮に、『新しい紅茶専門店の案内』を受け取るか打診を受けたそうです。
結果、そのまま引継ぎ、1995年6月からレピシエの本が届くようになったそうです。
新規の企業で、どのような茶葉のリストがあるのか気になったこのかたは、レピシエの本を見てたいへん驚いたそうです。
マリアージュフレールは、400を超すラインナップを誇ってましたが、レピシエは184種類。
新発の企業としては、ありえない規模です。
そして、元々マリアージュフレールのあったお店がそのままレピシエに姿を変えていたそうです。
ここで、サイトの著者の方はひとつの仮説を立てました。
元々、マリアージュフレールの日本での販売は、今のルピシアの人達が代理店として行っており、1994年を境に契約が切れたのではないのかと。(もしくは切られた)
もちろん、代理店であった現ルピシアにはマリアージュフレールだった時代の顧客データが残り、それを元手に独自ブランドを展開し、今の地位を築いたというのは、大変納得の行く話になります。
詳しくはリンク先を御覧ください。
文字がかなり小さいですが、拡大機能でお読みください。
もしかしたら、今まで謎の新興企業だったのではないかと気付かされます。
これが事実として正しい流れであるなら、ルピシアの社史にもそしてマリアージュフレールジャパンの社史にも書かれてない、本当の展開の歴史が垣間見えることでしょう。
ただ、こういう経緯があるのであれば、もっと堂々と言ってもいいのにな。
でも、両社の争いの種になるのかもしれない。
こういうような感じの話は、マリアージュフレールとルピシアの話だけにも関わらず、他の業界・会社にもある話なんですよね。
(例えば、飲食店なんか多いかもしれませんね)
あと、個人的な見解ですが、マリアージュフレールは、ティーポットにネル布(コットン製の円錐形の布フィルターを使って、紅茶を淹れます。
実は、店頭になかなか置いてありませんが(置いてあってもこっそりとあります)、同じネル布が売られてます。
もしかしたら、こういうポイントで何かしらの共通点を探れていたのかもしれませんね。
日本最大の紅茶専門店 ルピシア の強さとマーケティング展開を分析してみた
次に、紅茶専門店としては後発の会社だったはずのルピシアが、なぜ日本最大の紅茶専門店になり得たのか、マーケティング手法を交えて分析をしていきます。
ルピシアは売上高非公開の企業です。
ですがニセコ工場を竣工したニセコ町の紹介ページにより、2017年時点でグループ売上120億円と記載があります。
当時の店舗数が140店舗とあり、現在154店という増加からすると、単純に1割増加して135億円になっていると想定されます。
レピシエスタート時の想定
前提として、仮説の域を越えませんが、1994年平成6年にマリアージュフレール代理店終了に伴い、株式会社レピシエを設立したことになります。
そして、マリアージュフレール代理店時代の顧客リストを引き継ぎました。
1988年以後のマリアージュフレールは、日本にて以下の運営をしていたと見られます。
・大都市の店舗運営
・全国向けの通信販売
・もしかしたら、飲食店への卸売
まずは、これらを屋号の入れ替えと言う事で、引き継ぎルピシアの前身のレピシエをスタートさせます。
ここで、考えられるのは以下のビジネス内容です。
・大都市の店舗運営
・全国向けの通信販売
・もしかしたら、飲食店など法人への卸売
これらの内容からレピシエ(ルピシア)がスタートしたと想定できます。
スタート当時に、取引法人は減ったと想定します。
マリアージュフレールという「フランスの紅茶ブランド」を押し出している場合、飲食店にとってはブランドのない紅茶はメリットがなくなるからです。
この現象は、バーバリーとのライセンス契約が切れた後三陽商会が販売した「マッキントッシュロンドン」の販売の苦戦でも知られています。
この時点で考えられるのは、店舗の売上と通販の売上がメインだったと言えます。
店舗に関しては、リニューアルにともない、一時的に閉店をします。
店舗は一時的な閉店は客離れの一因になります。
店舗は再開の時に、屋号が変わっているのでどのくらい戻ってきたかという問題点があります。
ただ、最大で6割と想定してもいいかと思います。
そして通販が残ります。
こちらは元々400アイテムから184アイテムに減ってますが、通販という特性と、当時紅茶専門店が少ないという現状、他の店に乗り換えたりという可能性が低いと思われます。
合わせて、対応していたスタッフが元々マリアージュフレール時代からのスタッフがそのまま対応をしていたということもあり、今まで飲んでいた紅茶と近いものを提案してもらえたと言う環境があります。
これは、顧客としては大変メリットが高いことで、専門家でもないお客にとって、好みの紅茶のことについて常に相談できる相手がいるという認識をもてた事は、大きくプラスに作用していると思われます。
結果として、通販の顧客減少はあっても微々たるものだったと想定されます。
レピシエとして再スタートの時点では通販客が売上の殆どを占めていたと思われます。
レピシエとしての拡大と、ルピシアへの転換
レピシエになってから、
・通販
・店舗
が収益の柱ですが、そう云う場合、認知を広げる必要があります。
出店している場所は、大阪なら梅田にあったりと、大都市の繁華街にあったと思われます。
そのため人目に触れやすいということで、『仕事帰りに寄れる紅茶専門店』という位置づけを確立していったのではないかと思います。
ただ、店があっても人は入ってくれません。
紅茶好きが必ずしも店に入るとは限らないのです。
そこで、取り組んだのが
・店頭試飲
・福袋
ではないかと思われます。
店頭試飲は、関東では試飲から購入の流れが比較的スムーズに行ったと思います。
ですが、関西では圧倒的に試飲だけで帰った人が多いでしょう。
地域性の違いがモロに出ていたと想定されます。
そこで、福袋の登場です。
今こそ、複数の福袋がありますが、その当時は一つだけで、その中に
・廉価品
・フレーバード
・なにかのシルバーチップとか高価格品
・本などのアイテム
という感じで詰め込んで売りに出したと思われます。
実際、レピシエ時代に福袋をたまたま購入しました。
2000年の2月ぐらいで、まだ売れ残ってました。
私とルピシア(レシピエ)との出会いはそこが初めてなのですが、このように福袋から入った人はかなり多いと思います。
そして紅茶の専門店という認識を持って、遠方に住んでいる人などは、通販を使い購入することが出来るようになります。
2000年を挟んで数年で大都市圏へのさらなる出店、そして2005年のルピシアへの変更以後、地方都市のショッピングモールに多店舗展開を行っていきます。
店舗が増えて、各地にルピシアが増えたことで、いままで隠れた存在でしかなかった紅茶専門店が、一気にメジャーになっていきます。
私の出身は金沢市なのですが、金沢も紅茶に関しては元々少なく、専門店もあるかどうかわからない程度でしたが、ルピシアができてから、地元の友人達がみんな紅茶専門店として認知するほど広がりを見せました。
地方都市への多店舗展開とあわせて、以下の点を強化したのかと思います。
・地方紙、地方雑誌への広告
・イベント会場を借りてのお茶の大規模イベントの開催
広告に関しては私は見たことないので、正確な所はわかりません。
イベントは言わずと知れた『ルピシア グラン・マルシェ』です。
このように、ルピシエ転換以後、ルピシアは収入の柱を3本にすることになります。
・通信販売
・全国展開の店舗
・グラン・マルシェなどのイベント
ここまでくれば、おなじみの方も多いではないかと思います。
ルピシアの収益サイクルと拡大の想定モデル
先程までの説明で、現在のルピシアの収益モデルの母体ができました。
次はこれを元に現在に至るまで、どのように拡大をしてきたかというのを分析したいと思います。
1つ目は通信販売です。
通信販売の根幹は、『ルピシア会員』という会員制度にあります。
【LUPICIA】ルピシア会員になりませんか? | LUPICIA ONLINE STORE – 世界のお茶専門店 ルピシア ~紅茶・緑茶・烏龍茶・ハーブ~
このルピシア会員の最大の特徴は、『ルピシアだより』にあります。
年12回、毎月情報誌とサンプルのお茶が届きます。
これによりほとんどの人に『次の更新まで継続しよう』という気持ちにさせます。
この会員はいろいろな割引の金銭的メリットをもたらします。
通販でも店頭でも同じで、自分がルピシアを利用する確率が高く、アクセスしやすい状態であればメリットが多くなります。
そして、情報を入手するための情報源になります。
グラン・マルシェなどの会員限定イベントの案内が、優先的に送られティーライフが充実します。
つまり通販の仕組みである『ルピシア会員』は、店舗とイベントを補完し合う関係性にあります。
2つ目は店舗展開です。
店舗展開では2つのポイントがあげられます。
・フレーバードティーの充実
・地域限定商品の展開
これらは、
・ルピシアのベースとなった顧客リストがそもそもフレーバードティーを好むお客様であったこと
・紅茶に詳しくない人が一番最初に手にとって継続しやすいものがフレーバードティーであること
があげられます。
多くの紅茶専門店で、フレーバードティーは邪道として、ノンフレーバードを軸に据えて展開をしています。
ですが、紅茶そのものが初めての人にとっては敷居が高いらしく、馴染みのある自分の知ってる香りのする紅茶があるとすんなり手に取りやすいという傾向があります。
そのためフレーバードティーに力を入れる紅茶専門店は多く、海外資本の紅茶専門店はフレーバードティーがメインと言うところが多いです。
主要なところで言えば
・マリアージュフレール
・ムレスナティーハウス
などがあげられます
どちらも多くの女性に人気を博している紅茶専門店です。
フレーバードティーは混ぜものをしているという点で邪険に扱う人もいますが、これをお茶の入り口と据えてルピシアは本格的に商品開発をしているようです。
合わせて、その地域限定のフレーバードティーを用意することで、『旅行先でルピシアを見つけると入る』という動機づけもできます。
現地限定商品というのは、普段生活している地域では買えないので、その人にとって希少価値が高く、思わず思い出にと買ってしまいます。
店舗は、通販やイベントのお知らせ・告知もすることができます。
購入の際の袋にチラシを入れたり、店舗にポスターを張り出したりと、来店しても通りかかっただけでも、人にアピールすることが可能になります。
店舗は、通販やイベントを補完し合う関係性にあります。
3つ目はイベントの開催です。
グラン・マルシェなど大型イベントは以下の機能を有します。
・ルピシア会員への還元
・会員の継続の案内
・ルピシアを初めて知る人達を呼び込む
元々、紅茶に興味があった人は、ルピシアの店舗から関わりだしますが、そうでない人は、大きなイベントがしてるということをきっかけにします。
グラン・マルシェは有料イベントではなく、無料イベントです。
そして入場のために、メールアドレスを登録して申込みをする必要があります。
この一手間で、参加者ドタキャン率を下げる効果があります。
メールを登録するということは、少しハードルを上げているということを意味するからです。
その時点で、深くないにしろ、お茶に興味がある人を呼ぶことができます。
そして、イベント開始日直前に確認メールを送信します。
これにより更に参加率が高まり、もしイベント不参加でも、見込み客は『参加できなかった』ことに対して負い目を感じる状態になります。
参加した人には楽しさを、参加できなかった人には次参加しようという思いになり、その人に対するルピシアというお茶の会社の認知が出来上がります。
この認知が非常に重要です。
参加した人は、このイベントをきっかけに、ルピシア会員になったり店舗へ来店する可能性が上がります。
参加できなかった人は、街でルピシアを見かけると、ふと入りたくなってきます。
このように、イベントは、店舗や店舗を補完し合う関係性にあります。
上記の事柄をご覧の通り
・通販
・店舗
・イベント
一人の顧客、もしくは見込み客に対して、全面的に関わり、深く囲い込みを行うことが出来るようになります。
それを、システマティックに行っているのが、現在のルピシアのマーケティングと言えます。
それにプラスして、アウトレットや食品販売、さらにニセコのテーマ店舗経営があります。
全ては、顧客の生涯価値(ライフタイムバリュー)を向上させる為の方策なのです。
追伸:新型コロナウイルス以後のルピシアの展開予想
2019年末から2020年にかけて世界中で、新型コロナウイルスCOVID-19による惨禍に襲われました。
全世界で740万人以上(2020年6月13日時点)もの患者と41万人以上(2020年6月13日時点)もの死者をだす世界的な感染症になってます。
日本を始め東アジアや東南アジアでは、欧米や南米、南アジア以西ほどの流行を見せず、比較的軽度な流行状況で収まってます。
むしろ毎年のインフルエンザの方が沢山の人が感染してます。
その結果、多くの人達が行動を自粛し、店舗では来店数を著しく減少して、多くのイベントも中止になりました。
ルピシアも例外ではないでしょう。
テナントとして入っている大型商業施設は来客9割以上減という状況になり、更に2020年のグラン・マルシェも中止が発表されました。
その中で、経済を牽引しているのが、
・持ち帰り
・宅配
です。
人との接触を極力抑え、確実に商品を購入する手段として大変有効で、事実2020年2月移行の通販や持ち帰り・宅配の件数は爆発的に増えています。
そのなかで、ルピシアとしては通販の機能でお客に強くアピールしているものと思われます。
現在、ルピシアでは以下の情報発信の為のチャンネルを有していると思われます。
・ルピシアだより
・Twitter(3.6万人)
・フェイスブックページ(73,945人)
・メールマガジン
これらは、直接会う機会を失っている今、ルピシアにとって大変強力な発信メディアです。
これらにて、いろいろな提案ができているのではないでしょうか。
・ライフスタイルの提案
・新製品の提案
・今後の予定の案内
いろいろなコンテンツを積極的に発信することで、フォローしている人、もしくは実際に購入してくれている人たちにアピールし続けることができます。
これらの活動は、『買い手に忘れてもらわないようにする』事を念頭に行っていると思われます。
人は、迷ったり決めたいときには、一番最初に思い出す物や人を選択する傾向があります。
つまり、その人達の心の『お茶についてのNo.1』を維持するコミュニケーションをとることが、ルピシアがこの新型コロナ禍を乗り越え、さらに多くのお客と密接に関わる為の大切な要素になります。
どんな大企業も、買う人のNo.1になれなければ生き残れません。
いままで選ばれていたからと言って、人が困っている時にそばに居続けなければ、平素に戻った時に選ばれることはなくなります。
実際、ルピシアはこの新型コロナ禍においてどの様なマーケティングをしてるかは知りませんが、これを機に少しでも既存客および日本中の紅茶好きによりそって、よりお茶文化の拡大や深化に努めていただけていたら、同じ茶道楽として、ありがたいと思います。
これからも、ルピシアの活躍に注目していきます。
ルピシアのお茶に興味を持った方はぜひご覧ください。
【LUPICIA】世界のお茶専門店 ルピシア ~紅茶・緑茶・烏龍茶・ハーブ~
追伸2:ルピシア社長の経歴
北海道企業立地サポートサイトさんにて、ルピシア会長兼社長の水口さんの紹介がされていました。
このページの理解を深めるためのご参考にしていただければと思います。
株式会社ルピシア|立地企業インタビュー | 北海道企業立地サポートサイト
経歴
1980.4
株式会社中央クーパースアンドライブランド・コンサルティング 入社
1985.11
株式会社ワールドインフォメーショントレーディング(現:株式会社ルピシアホールディングス)設立 入社
1989.3
同社 代表取締役社長(現任)
1994.8
株式会社レピシエ(現:株式会社ルピシア)設立
2001.8
同社 代表取締役社長 就任
2016.10
同社 代表取締役会長 就任
2020.5
同社 代表取締役会長兼社長(現任)
ルピシアの方針を知るためにも興味深い記事です。
個人的には、取材時点のルピシアの売上に対するスタンスが紹介されているところが興味深かったです。
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