急須を持っていない家庭 が増えている事を考えてみよう
『 急須を持っていない家庭 が増えている』
いろんなところでネタになってますね。
過去に何度もブログの記事としても採用されてきたテーマです。
「家に急須がないんです」そんなお宅が増えつつある今、お茶屋さんの思いとは?
ペットボトル以前は、お茶といえば急須が必要だと『言われてきました』
あえてかぎかっこ付けにしたのは、あっても使わない家が多いだろうと思ったからです。
団塊世代の下の世代、シラケ世代ぐらいと同じ世代を親に持つ僕の家では、
お茶はヤカンで入れてました。
正確には『急須で淹れるお茶を飲んでなかった』が実態のようでした。
家に確かに急須あったんですがね・・・
僕がたま~に使うか程度。
基本、煎茶がなくて、ほうじ茶の袋が家にあったという家庭です。
多いんじゃないですかね?
急須があっても使わない。
というか『使えない』
実は、急須を持っていない家庭というのは、何十年も前から始まってたことかもしれません。
お茶を取り巻く現状
急須を持っていない家庭が増えているという事考えるの上で、お茶を取り巻く環境を考えてみましょう。
お茶は身近なものです。
ですが、自分自身はみんなが言うほど「みんなが理想としているお茶の生活」を送ってるでしょうか。
殆どの方は「違う」と答えるでしょう。
自分の生活ではそれが日常ではないからではないでしょうか。
ですが、「そのお茶の生活」というものの認識はあります。
それは、人の家に招かれたときやどこかのメディアで見たときなど、そういうときではないでしょうか。
今一度、自分を含めて、お茶が置かれている環境というものを考えてみましょう。
お茶の消費量について
まず、「お茶離れが進んでいる」と言われています。
それを表すように、お茶の消費量は、緩やかに減少へと向かっています。
茶ガイド-全国茶生産団体連合会・全国茶主産府県農協連連絡協議会|茶の生産と流通 茶の需給 茶類の国内消費量の推移
総量は一見途中まで横ばいに見えます
ですが、一人あたりの購入量は年々減少を続けており、すでに一世帯あたりの購入量は1000gを割っています。
茶ガイド-全国茶生産団体連合会・全国茶主産府県農協連連絡協議会|茶の生産と流通 茶の需給 緑茶購入量の推移
1世帯あたりの家族が減ったから、という事もあります。
購入金額も減少しているので、飲む世代の減少、もしくは、新たに飲む世代が誕生していない、ということもあるでしょう。
お茶を飲む習慣について
お茶は嗜好品です。
お茶だけにとどまらず、嗜好品を選択するバリエーションに富んでいるのが現代社会です。
飲むものはお茶だけでなく、コーヒーや清涼飲料水、ハーブ、他の新たな飲料など誕生しています。
その中で、お茶を選んでもらう、という事で「お茶を飲む習慣」というものが作られます。
飲み手にとって、「お茶が特別なもの」で「お茶が自分の生活の一部」であることが必要です。
それに対して急須が有るか無いかという事以前の話になるでしょう。
お茶を飲む人にとっては、「お気に入りのお茶飲料が常に家にある」事が、お茶のある生活でお茶を飲む習慣になるのです。
「お茶の生活=急須が必要」ということにならないのが現在です。
急須が家に置かれる環境について
急須に話をもどします。
相当のお茶好きでもない限り、自発的に急須を買ったことなんて無いと思います。
では、どういう時に急須が手元に入るのでしょうか。
・一人暮らしをはじめる時親からもらう。
・結婚式の引出物で食器セットに入っている
・近所の陶器市で『たまにはいいものを買わないと』と思い、1万前後の急須を衝動買いする
他にもたくさんあると思いますが、大体は前の2つじゃないでしょうか。
親からもらうことに関しては、親が引き出物でもらった物をそのまま横流しすることが多いようです。
と言うことは、急須は絶好の引き出物であったわけです。
ですが、昨今の引き出物はカタログから好きなものを選んでという選択肢が多いです。
普段の生活にお茶が無いということを考えると、急須の選択肢はないですよね。
急須が家庭から無くなるプロセスから、どの様にしたら手に取ってもらえるようになるか考える
僕が考えるに、お茶を飲む事自体は『ペットボトルや紙パックのを飲んでる』とみんなが思ってるので、減ってはいないようです。
それを表すように、某お茶で有名な清涼飲料メーカーは過去最高の売上を出したそうです。
お茶業界が言っているのは、昭和50年台をピークとした『茶葉で淹れるお茶』の消費量が減っているということだそうです。
テーマとしては
・ペットボトルのお茶は減らさない
・その上で急須でお茶という行為に付加価値を付ける
この2つになっていきます。
急須を持っていない家庭が増えていくプロセス
家に急須が無い家庭が増えているプロセスとして以下のことが挙げられます。
・急須を買わない生活をしてる
・急須が無い親の家で急須が余ってるということがない
・お茶を飲むのに急須を使うという概念がない
これは、急須だけじゃなくて、ティーポットでも同じことが言えます。
家で茶葉で紅茶を飲まない家は、ティーポットがありません。
多くの人は、家で紅茶を飲むときはティーバッグで飲みます。
ティーバッグで飲むときは、大きめのコーヒーカップなどを使います。
コーヒーカップは300ccぐらいあります。
ティーバッグは150~200ccで淹れることを推奨してます。
つまり、多くの人の紅茶の味は、薄い味だと言うことがいえます。
緑茶も紅茶も薄味でサラリと飲めるものが家で飲まれるお茶となります。
お茶は食べ物と一緒に飲んだり、食後に飲んだりします。
それは、食後にほうじ茶や番茶を飲んでた人達にとってよく分かると思います。
濃い味のお茶よりも、軽い味のほうが相性がいいのです。
こうして、急須が必要な生活から遠のいていきます。
現在、生活の中におけるお茶のポジション
まず、普通の人は、お茶の味や香りに深い関心はもちません。
自分にとって、馴染みがあり、心地よい香りや味ならば、薄くても良いのです。
お茶が担う生活のポジションを考えてみましょう。
喉を潤す事は、水で担われます。
甘さがや爽快感が欲しい場合は、炭酸飲料が好まれます。
栄養補給ならば、牛乳や野菜ジュースが担います。
しかし、生活を担うと考えると、コーヒーやお茶のポジションはなかなか見つかりません。
甘さや爽快感を、コーヒー飲料や茶系飲料で担われることもあります。
ここまで考えると、コーヒーやお茶は、生活の必需品ではないのかもしれません。
ただ、お茶というものは、次の影響を人に与えます。
・香りでリラックス効果を得られます。
・甘みで落ち着きを与えます。
・渋さで気持ちを引き締めます。
・成分効果で、口の中をさっぱりさせます。
・冷茶ならば、のどごしで爽快感を与えます。
つまり、水や炭酸飲料の代わりになるということが考えられるのではないでしょうか。
再び家庭に急須を置くにはどうするか
もしかしたら、前までは『引き出物』という方法で手段を無料に近い形で提供し、茶葉を自然と買わせる商法だったのかもしれません。
これは今で言えば
・携帯本体0円で契約させる
・カミソリの本体を安く提供して歯を継続的に買わせる
・プリンターはPCとセットでタダ同然にしてインク代で稼ぐ
など、継続収入を元にしたビジネスモデルになっていたのかもしれません。
今は、上記の商法は、公正取引委員会や業界の疲弊によって大きく様変わりしております。
急須やティーポットなどお茶を淹れる道具が必要だと考えるのであれば、「道具と技術と場面」というセットを渡すことは有効かもしれません。
こういうふうに、ビジネスモデルを転換した他業界の動向ももしかしたら、茶葉で淹れるお茶の復権につながるヒントになるのかもしれません。
最後に
『いいものを作れば売れる』の時代から『商品がいいのは当たり前、継続して買いたくなるかどうか』が今後の鍵となるのでしょう。
良いものでも悪いものでも、今の時代知らないものは誰も買いません。
つまり、「急須で飲むお茶は良いものである」ということを知ってもらうことが重要です。
それは押し付けではいけません。
押し付けだと、飲む人の習慣や生活になってないからです。
習慣や生活になっていないことは継続しません。
「急須で飲むお茶」というものを一過性のもので終わらさずに、継続してもらう必要があります。
そのために、どのようなことをすればいいでしょうか。
例えばこの様な試みがされているでしょう。
・急須でお茶を飲む人達のイベントに定期的に参加する
・飲むためのお茶にこだわる
・お茶というものを技術と位置づけて磨き続ける
人との交流や、茶葉へのこだわり、礼儀作法としてのお茶の追求、いろんな切り口があるでしょう。
全ては「人の生活の一部にお茶が有る」という所に着地する事が目的になります。
急須の有る生活は、お茶のある生活です。
これは、今後も長い課題となるでしょう。
さて、どうしたもうか・・・・