国産紅茶の熟成 という事を考えたことはありますか?
ワインやブランデーなどの酒類、漬物などは熟成という話を聞くことが多いことでしょう。
時間が経てば経つほど味わいに深みが増したり、口当たりが穏やかになってきたりなど、いろんな変化が見られます。
多く紅茶をストックする人達も、そのような経験を紅茶でするという人を多く見かけます。
今回は、国産紅茶を通じて、紅茶の熟成について考えてみたいと思います。
「紅茶は新しい方がいい」元々そう考えていた
紅茶は農作物なので「新鮮な方がいい」という風に元々考えてました。
やはり、作り立ての方がおいしいと思うし、さらに今のシーズンの「一番茶」というのは、なかなか味わい深い。
(でも、オータムナルが好きですが)
多くの農家さんも、去年の紅茶は肥料として茶園に戻すという事もよく聞きます。
作り手から見ても、古い物には魅力を感じないというイメージが伝わりました。
ですが、この頃1年や2年と経過している紅茶を飲むと、最初に感じたイメージとは全く違う味わいに驚くことがあります。
送られて来た時は、荒々しくてとげとげしてていたのに、今飲むとまろやかで穏やかになっている。
薫り高い紅茶がと思ってたら、ふんわりと甘い雰囲気の紅茶になってるなど。
それが一つ二つではなく、ずいぶん多くに見られ、「もしかしたら紅茶は熟成というのは、ほんとにあるのではないか」と思うようになってきました。
紅茶に熟成という考え方は、他のお茶仲間からよく聞くことがありました。
ですが、僕自身としては否定的で、薄くなれどおいしくなるわけがないという風に思ってました。
その考え方を改めないといけないことが、多々起こってきました。
紅茶は熟成をする。
それを身をもって体験しているのが今なわけです。
経年するストック、変化する味
最初に味の変化を思ったのは、奈良の茶農家さんが作ってくれた実験茶でした。
紅茶を作る際に、萎凋の度合いを変えたり、火入れを時間差をつけたり、発酵環境を変えたりなど、色々チャレンジしたものでした。
最初に飲んだ時は、どれも若々しく荒々しい雰囲気をもったお茶で、たくさん飲めないという感じでした。
それが、1年経ち、2年経ち、その都度飲んでみると、最初にメモした雰囲気と全く違うお茶になっているのです。
共通しているのは、荒々しさがなくなっていること。
その後に、各々の個性が出てきて、香りの高い物、華やかな物、甘い物、やさしい物、こうばしいものなどなど・・・
それをポットでなく、中国茶器の「茶壺」で飲んでいたので、煎を重ねるごとの変化を楽しみ、実に奥深い紅茶になってました。
この時は、この紅茶だけかなと思ってました。
この頃、ストックが数年と経年していて、必然的に熟成した紅茶を飲むことが多くなりました。
このブログの国産紅茶レビューの際の雰囲気とはまるで違う紅茶になっているのです。
香りがメインだと思っていた紅茶が味がはっきりするようになったり、味が特徴ないと思っていた紅茶が実に個性的で良い紅茶になっていたり。
さらに、先ほどの奈良の実験茶と同じく荒々しくて飲み切れなかった紅茶が、穏やかで重厚な紅茶になるなど実に多様な変化を見せてきたのです。
もしかしたら、毎年昨年度の紅茶を捨てているという農家のみんなに声を掛けて、ストックないし自分で確保するという選択肢も出てきたのではないかと、そう思うようになってきてます。
国産紅茶の熟成 や紅茶の「適正熟成年数」というものがあるかもしれません
紅茶もワインと同じように「~年もの」という考え方もできるのかもしれません。
毎年味が変わるので、その時にテイスティングしないと正確な味は表現できませんが、それをする価値は十分にあると思われます。
熟成させるには、香りが揮発しないように密封が最低条件になります。
それを農家さんにずっとさせるのはさすがに酷なのかもしれません。
仲介して売るという立場で、それらを集めて適正環境下で保存できれば、優れた熟成紅茶を提供できるのではないかと、そう思う事もあります。
「紅茶は新しい方がおいしい」という考えを改める。
これは、これから国産紅茶を考える上で、もしかしたら重要なことになっていくのではないかと思われます。