タイトルの話の前に、『お茶類は、なぜコーヒーに勝てないのか』ということで、適当にネットサーフしてたら、このブログにヒットしました。
”紅茶屋さんでござい Cafe’s cafe”
くわしくは、リンク先でご確認願いたいのですが、ざくっと書くと
・お茶(全茶類含む)の生産量はトリプルスコアをつけられて、コーヒーの生産量に負けている。
・お茶は、コーヒーのローストの香りにどうしても勝てない。
・習慣性でコーヒーに負けてしまうのは、砂糖を入れる量の違いかもしれない。
(ちなみに、油と砂糖は習慣性をつけてしまう食品として有名です。マヨラーは一種の油中毒です)
ブログを拝見させていただいて、どうしてもコーヒーに敵わないのかなと思うんですが、
イギリスが紅茶帝国を築いた時は、コーヒーが嗜好飲料の主でイギリス中にコーヒーハウスがありました。
(紅茶が最初に発売されたのも、コーヒーハウスです)
ですが、紅茶はそのシェアを奪い、イギリスの食文化に『アフタヌーンティー』という習慣を作り出すほどの影響力を持ちました。
遠因ではありますが、この紅茶輸入(そのほか陶磁器とかもありましたが)は一時イギリスの銀の支払能力を危機に陥らせ、その変わりにイギリスがインドで作ってたアヘンを流通させたことで銀を取り戻し、銀の大量流出による銀の高騰に陥った清がいままでよりもきびしいアヘンの取締りをした結果、イギリスと清の戦争になり、西の超大国が東の超大国を上回る結果になる。
こういう、お茶(やアジア製品)への執念が、世界の帝国を築いていったこともあります。
このときは、間違いなく、紅茶>コーヒーだったでしょう。
でも、現状としては、世界的に見てお茶<コーヒーです。
そして、コーヒー豆の高騰が続いてる現状でも、その関係は変わらないでしょう。
アフタヌーンティーが広がった時代の
『亭主をコーヒーハウスから家庭へ連れ戻し、
ビクトリア・ライフ・スタイルを築いた』
事によるイギリス紅茶文化は、
1965年以降の女性の社会進出による『ビクトリア・ライフ・スタイル』の崩壊
により、衰退・減少の一途をたどっていきます。
日本でもそうですが、イギリスでもは
『お茶』一つの集団(家族とか)をつなぐためのツール
であったと言う人もいます。
じゃ、ライフスタイルが変化したことにより、
『みんなでお茶を飲む』スタイルが維持できなくなったことは認めましょう。
でも、それでコーヒー>お茶というのも、やはり合点がいかない。
お茶に欠けてるもの、それを考える機会としてはいいのではないかと思います。
ということで、かなり長い前振りでしたが、
『紅茶がコーヒーに負けてるもの』のひとつの『香り』
をちとためしてみたいと思います。
そこは単純に、『お茶をローストしてみる』と言うことにチャレンジ。
茎茶(関東ローカルで言う番茶)を炒ったいわゆる『ほうじ茶』や、他の人も『ほうじ紅茶』と言うのもチャレンジしてるみたいなので、僕も手始めに便乗してみることにします。
まず、
ナベを火にかけて
茶葉を入れます。
(今回は、アッサムのCTC)
自分で『ほうじ茶』を作ったことがあるので、その要領で振って白い煙がかすかに出るくらいで止めます。
この時点で、紅茶の(というかアッサムの)香りが充満してて、ご満悦w
その上から、沸騰したお湯を入れまして
いつもどおり、3分間煮ます。
普段よりも濃い目に出てます。
茶葉をこしまして
出来上がりです。
(味の邪魔にならないように、オリゴ糖と牛乳を入れました)
正直、一口目の感想は
『やるんじゃなかった・・・』
”通常淹れのべにふうきなみ”に後悔しました。
・味なし
・香りなし
・焦げ臭いだけ
炒れの時間が長すぎただけなんだろうか・・・
難しい・・・
紅茶の香りがちょっとした段階で止めればよかったのだろうか・・・
ここまで、『焦げただけの飲み物』になってると思わなかった・・・
こんなんじゃ、到底、コーヒーに勝てないや・・・・
まだまだ、『打倒コーヒー』の追求は続きます。
『紅茶の国』のイメージのイギリスですら、紅茶離れにあえいでいる。
投稿日:2011年2月24日
執筆者:【国産紅茶専門家】みこどん